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1回目のうつ病の時に読んだ本たち [漫画・本・雑誌]

わたしは、現在2回目のうつ病闘病中なのですが、3~4年くらい前(2002年あたり?)にも、1回うつ病になっているんですよね。
この時は、わたしも含めて正社員・契約社員が合計9人しかいないベンチャー企業で、当時の情報システム室長と、とある居酒屋で会って「うちに来ないか?」みたいなことを言われて、それまで所属していた会社(TランスCスモス)の給料の低さ、経営陣のアホさ加減に嫌気を感じていたころだったので、即OKと言ってしまったのが運の尽き。
「大企業だと決裁など諸手続に時間がかかるけど、ベンチャー企業は小さいから小回りが聞くし、自分の意見も通りやすいだろうし、大企業(当時所属していた会社は、東証一部上場で社員数が約5,000人いた)だとチンピラ扱いされちゃうし・・・いっそのこと、これを機に転職しちゃうか!」
そんな軽い考えで、東証一部上場で社員数約5,000人の銀行からも信用の高い会社を辞め、正社員・契約社員含めて9人のベンチャー企業へ転職したワケです。

自社のwwwサーバや、mailサーバなどは自社内で管理していたし、他社のwwwサーバのホスティングもやっていて、インターネット関連の技術が身に付いたのは、確かですね。
他にも会社の管理会計にはOBCの勘定奉行LAN PACKを導入するから、そのプロジェクトのリーダーになってみたり、RedHat Linuxで自社用mailサーバ(qmailを使用)を構築してみたり、なかなか刺激的な日々を送っていました。
・・・が、そうこうしているうちに、わたしを引き抜いた情報システム室長が、社長や大株主の会社から出向できている取締役との軋轢により退職。
情報システム室は実質、わたし一人になってしまったのです。
LinuxやApache、qmailを触るのも初めてだったわたし。
管理会計なんて、さっぱりだったわたし。
そんなわたしに、新たに上司のポスト(情報システム室長)に就いたのは、前・情報システム室長と軋轢を起こしていた、大株主会社からの出向できていた取締役だったのです。

なんていうことでしょう!?(サザエさんの声の人風に)

この人は関西系のキャラで、大声でしゃべるし、感情が高ぶれば自分を抑えることなく怒鳴り散らすし・・・。捕らえようのない人でした。
しかし、この人が、わたしの新上司なワケだし、彼の指示に従いながら、自社用wwwサーバ構築、自社用ファイルサーバ構築、自社内LANの構築・・・いろいろな作業をこなしていきました。
事態は少しずつ進展していました。
彼は、礼儀作法や「社会人としてのなんたるか」に対して、非情に厳しい人物で、わたしがお昼休みを10分くらい遅れると、けっこうキツめに叱られたりしました。
まぁ、「叱られている」うちは、よかったんですよね。
彼が不在の時に、彼宛の電話を受けたとき、「彼は午後出社のため、現在不在です。出社次第、折り返し連絡いたします」という応対をした。
これを知った彼は激怒した。
「オレの午後出社は、こちら側の都合であって、相手には全然関係ないだろっ! なんでそんなコトを言うんだっ! そもそも、オレが午後出社になっているのは、夜遅くまで業務範囲外の経理のことや、今後の会社の方向性などについて、あれこれやっているからだろう! それなのに、お前は、そんなオレに対して『朝からしっかり出勤しろ』とでも言うのかっ! 冗談じゃねぇぞっ! コラァ!!」
いやいや・・・最初の方は、わたしも「悪かったかなぁ」なんて思ったりもしたけど・・・「そもそも・・・」以降は、わたしが口に出したワケでもないし、思っているワケでもないし、勝手に彼がそう思ってブチ切れているだけなんですよね。
そして、怒鳴り終えた彼は、しばらくするとスッキリした顔して、普通に仕事をしているんですよ。たまに笑顔を交えながら。
「先ほどは、正しい電話対応もできず、申し訳ございませんでした」と謝罪しても、「ああ、もういいんだよ。終わったことだからさ。今度から気を付ければいいんだよ」みたいなことを言うんです。
きっと怒鳴ったから、自分はサッパリしちゃったんだろうけど、途中から理不尽なコトで怒鳴られているわたしはサッパリしないんですよね。

こんなことが続いて・・・わたしのストレスが溜まっていき、彼に対する恐怖心が芽生えてしまい、「いつ彼に怒鳴られるんだろう」などとビクビクしながら仕事をしていました。
そんな生活を送っているうちに、毎朝起きると体がダルくて重たい。
わたしは今まで毎朝目覚めよく起きていたのに。
そして、やる気がまるっきり起きない。どんなに絞り出しても、やる気が出てこない。
それでも何とか出社するが、午前中はまったく仕事が手につかない状態なんですよね。
お昼も食欲がなく、会社の近所のコンビニでおにぎりとか、サンドイッチとか、そんなのを軽く食べる程度でした。
午後3時ごろになると、気分が回復してきて、仕事がものすごく捗る(はかどる)んですよ。まぁ、自分でいうのも何ですが、わたしって天才ですから。(笑)

そして・・・
とうとう、あの日が来たのです。
そう、わたしが完全に逝った?日です。
いつもの帰り道を歩いていたのですが、ふと我に返ったら、見たこともない場所に立っていました。
「あれ? ここ、どこだ?」
不安になりました。
必死に大きな通りや、街灯が多く立っている通りを目指して歩きました。
やっとのことで帰宅できましたが、なぜか涙がこぼれていました。
上司が大株主の会社から出向してきている取締役に代わってから、何度となく思ったこと。
「死にたい」
これは、
電車のホームで立っていて電車が猛スピードでホームに入ってくる時にも、
車の通りが多い道路で、目前を猛スピードで自動車やトラックが通り過ぎる時にも、
職場のバルコニーなどで一服しながら下を眺めている時にも、
思ったことでした。

このときは、この「死にたい」とか「死んでしまえ」とか、誰かの声がわたしの頭中に何度も何度も響き渡っていました。耳を両手で塞いでも聞こえてくる声。
ふと我に返ると、電気もつけていないトイレにうずくまっていました。

翌日、会社を休み、生まれて初めて精神科の病院へ行きました。
軽い問診やカウンセリングの後、医者が言った一言。
「う~ん、うつ病だね」
これが、わたしの1回目のうつ病経験です。

精神科に通いながら、薬を飲みながら、ダラダラと過ごしていました。
会社は・・・というと、社長に「うつ病と診断されました。あの上司とは一緒に仕事もできません。会社を辞めます」と打ち明けたら、即OKでした。
まぁ、社長もあの大株主の会社から出向できている取締役を持て余していたのでしょうね。
電話だけでは・・・ということで、社長と秋葉原近辺の居酒屋で会いました。
「キミは会社にくるのも辛いだろうから」と社長の配慮からでした。
社長にうつ病に至った経緯、現在の状態、大株主の会社から出向できている取締役への思いをぶつけました。
社長はうなずくだけでした。
すぐその日に退職も決まり、それまでどん底だった、わたしの気分は少し晴れました。
晴れ晴れした気分で、体が急に軽くなった感じがしたので、帰宅途中、ボーリング場に寄って、一人で4ゲームくらい投げましたよ。
その時のハイスコアが196。
そうとう気分が良かったんでしょうねぇ。(笑)

でも、それからは・・・
朝は起きると頭がボーっとしたりクラクラしたりして、体が重く感じて、何もやる気が起きなくて、お腹が空いたら何か食べて、眠くなったら昼夜問わず寝ていました。
一日中、家にいるのは、それほど苦痛には感じませんでした。
観ていない映画をレンタルビデオ店で山ほど借りて鑑賞したり、マンガ喫茶で「キン肉マン」や「魁!男塾」、「北斗の拳」や「聖闘士星矢」、「ブラックエンジェルズ」など、かつて週刊少年ジャンプで読んでいたけど、ストーリーの細部があやふやになっていたマンガたちを読みあさったりしました。
そして、観るDVDも読む漫画もなくなったら、家でテレビゲーム三昧。
RPGを中心にあれこれ遊んでいました。
状態がいいときだけですけどね。

そんな時、出会った本が「神との対話」です。
敬虔なクリスチャンであった筆者。でも私生活でも仕事の面でも苦しんでいて、不幸のどん底で、どこを向いても「自分の人生は失敗だった」と感じていた。
そんな気持ちをはき出そうと、手紙を書いた。手紙は書くだけで投函するつもりはなかったらしい。
ただ、思うがままにペンを走らせた。
自分を苦しめている相手ではなく、もっと奥にある根源に直接、思いをぶつけた。筆者は、人間を苦しめている根源でもあり、もっとも偉大である神に宛てて手紙を書いた。
悪意のある、激しく、波乱と歪曲と罵倒に満ちた内容になった。
それに怒りをこめた問いの数々が並んだ。
どうして、わたしの人生はうまくいかないのか。
うまくいくためには、何が必要なのか。
どうして、わたしは幸福な人間関係が結べないのか。
どうして、いつまでたってもお金に困り続けていなければならないのか。
・・・こんなに、もがき続けていなければならないなんて、わたしがいったい何をしたというのか。
このとき、筆者が握っていたペンが便せんの上で勝手に動き出した。
「あなたはほんとうに、すべての質問の答えを知りたいのか、それとも八つ当たりをしてみただけなのか?」
――これから、筆者と神との紙とペンによる対話が始まったのである。

うつ病のどん底?(自分ではどん底と感じていた)にいた自分が、本屋のあるコーナーでふと手に取ったこの本。何かしらの運命というか、必然性を感じました。
この本は3部作になっているが、1冊目を2~3日で読み終えた後、すぐさま2冊目と3冊目を買いました。
そして、むさぼるようにこの本を読みました。
・・・これにより、当時のうつ病のわたしの心は救われたのだろうか?
それは・・・現在になっても、まだよくわかりません。
でも、そのときに読む必要があったからこそ、わたしが手に取った本だったのだと思います。

 

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける

神との対話―宇宙をみつける自分をみつける

  • 作者: ニール・ドナルド ウォルシュ
  • 出版社/メーカー: サンマーク出版
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 文庫

神との対話〈2〉宇宙を生きる自分を生きる

神との対話〈2〉宇宙を生きる自分を生きる

  • 作者: ニール・ドナルド ウォルシュ
  • 出版社/メーカー: サンマーク出版
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 文庫

神との対話〈3〉宇宙になる自分になる

神との対話〈3〉宇宙になる自分になる

  • 作者: ニール・ドナルド ウォルシュ
  • 出版社/メーカー: サンマーク出版
  • 発売日: 2002/06
  • メディア: 文庫



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コメント 6

神という客観的主体を自分で定義して、第三者の視点で自分をみつめなおす

まさに、認知療法の王道ですね

そういう本に出会えたのはラッキーだったと思いますよー

前にも書いたかもだけど、ぼくの場合、眠剤や抗鬱薬を使うのに、とにかく親が最初凄い拒絶反応があって、それを説得するのに苦労しました

薬使って楽になるなら、使った方がええんですよ
中毒になろうがどうなろうが、そんなものは症状が回復してから考えれば良い

今日を生きなきゃ明日はないです


で・・・
鬱病の根治には、本当は同じ状況におかれてもいかにそれに対処すべきかの道筋を自分自ら発見することです(回答が、そういう場合はとにかく逃げる・・でも良いんです)
認知療法は有効ですが、卑怯な自分を発見、認めることに直結するので結構残酷な治療法でもあります

つーのは、今の自分に言い聞かせてることなので^^;;;
by (2005-09-23 15:40) 

しゃくれアゴ

うっちーさん、コメントありがとうございます。
わたしの親族には、クリスチャン(洗礼名:クリストファー)がいました。今は亡き叔父なのですが・・・
その叔父は、アルコール中毒になり、強制的に檻付きの病院に監禁されたり、症状が良くなったと思ったら、またアルコールに手を出して暴れて、檻付きの病院に監禁されて・・・ということを数回繰り返していました。
いつかは知りませんが、そんな叔父が、牧師や僧侶と接する機会があったそうです。その際、それぞれに対して、「『愛』とは、何ですか?」と質問したところ・・・牧師は即、「『愛』とは、許すことです」と回答して、僧侶はしばらく考えた後、「『愛』とは、受け入れることです」と回答したそうです。

この話は、檻付き病院を退院して断酒会に入って、社会復帰した後の叔父から聞ききました。
これ以来、わたしは、自分がいままでしてきたこと(小さい頃のイタズラから始まり、小学生の頃の万引き、マナー違反、他人を傷つけたこと、汚い言葉を吐いたこと、ウソをついたこと、すぐ諦めてしまっていたこと等)をすべて許し、自分自身のすべて(自分の好きな部分、自分のお気に入りの部分、自分では直さないといけないと思っている部分、他人に知られたくない/見られたくないと思っている部分など)を受け入れようと思いましたし、今も実践しているつもりです。
でも・・・ちゃんと潜在意識まで、それが届いているのかどうか、定かではありませんが。

最近、気分が安定していて、常に前向きだった自分に戻りつつあることを実感しています。
元気だったころは、前のめり過ぎるくらい前向きでしたから(笑)
by しゃくれアゴ (2005-09-23 18:15) 

あんまし、前向きになりすぎて、じゃー、死んじゃえーって極端な結論にだけはなりませんように^^;;;

牧師と僧侶の言葉はそれを象徴してると思います
結論をすぐには出さない決断だってアリです

一歩ひいてみて、自分をみつめなおされるのが良いかと

うーん・・・やっぱ、コレ今の自分に言い聞かせてるだけのような気がするけど^^;;;;;;;
by (2005-09-24 19:12) 

しゃくれアゴ

うっちーさん、コメントありがとうございます。

>あんまし、前向きになりすぎて、じゃー、死んじゃえーって極端な結論に
>だけはなりませんように^^;;;
それは、「前向きの極端な結論」になってないですよー。(^-^;
まぁ、今のところ、「死んじゃおう」という結論は自分のなかでは無いんです。
何故なら妻もいるし、まだ食べたことのない美味しそうなモノもあるし、まだ買いたいモノもあるし・・・。
これだけ欲があれば、「死ぬ」という結論には至らないと思います(笑)
・・・よっぽど、行き詰まったときは、こんな欲なんて関係なくなっちゃうかもしれませんけど、歯止めくらいにはなると思うんですよね。

自分を第三者的な視点で見つめるのは、なかなか難しいですよね。
「これくらいは、許してやれよ。自分なんだし」とか。
それとも、すでに第三者的な視点で自分のことを見ているのかなぁ?
ちょっとわかりません。
by しゃくれアゴ (2005-09-25 13:14) 

あー、すんません、ぼくが結構それで近いこと繰り返しやっただけです<前向きな自殺未遂<を(笑)

ジョークはさておき、
ちょっと、今色々あって、かなりへこんでいるのです^^;;;
by (2005-09-25 18:32) 

しゃくれアゴ

うっちーさん、コメントありがとうございます。

>ちょっと、今色々あって、かなりへこんでいるのです^^;;;
あらら。ちょうど、わたしもついさっきまで、かなり凹んでいたんですよ。
まぁ、凹んでいた理由は「うつ病闘病日記(11)」(http://blog.so-net.ne.jp/ago-waki/2005-09-25参照)にも書いたんですけど・・・
やっぱり、自分が想い描いていた通りにコトが運んで、目的達成の一歩手前で挫折すると、かなり凹みますよねぇ。
頭では、「そんな小さいコトで凹むなよ。前向きにいこうぜ」と解っているんですけど・・・心がついてこれないんですよね。
頭は切り換えられても、心が切り替えられず、引きずってしまうんです。
・・・まだまだ、修行が足りないようです。(^-^;;
by しゃくれアゴ (2005-09-25 22:08) 

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