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『木のお医者さん』その4 [GBA2005ノベル]

  【三】
 山と川とに囲まれた地に、真っ黒のエアカーが停まりました。スモークの貼られた窓が、小さな音を出しながら下へ降りました。古池は開いた窓から、小高い丘の方を見上げました。
 丘の上には、小さい病院が見えます。木造の一階建てで、屋根の上に降り積もった雪を下へ落とすために、屋根は斜めになっています。斜めの屋根をもつ病院は、自然の背景に打ち解けているように見えました。二十世紀ころから、屋根を緩いV字型の傾斜にして、その谷間にパイプを通し熱湯を流すことにより、屋根に降り積もった雪を溶かして排水溝へ流すようになりましたが、斜めの屋根と見比べると、どこか不自然でした。
 「昔の人々の知恵は、自然と融和していたんだ。だから、自然を傷つけることもなかった。それを、どこで道を踏み違えてしまったのか……。」
 古池は白い息を吐きながら、ぼんやりと空を見上げました。故郷の空を見上げるのは、数十年ぶりでした。少し青みがかった黒いビロードが空を覆っていて、その生地を星の光が貫いて、地上まで届いてきているように感じました。古池は、後ろに倒れるくらい体を反らせて、空を見上げていました。
 「古池さん、今晩は。」
 首に無理がかかる格好で空を見上げていた古池は、ふと我に返り、声がした方に顔を向けました。薄暗闇の中に白衣と顔だけが、こちらを向いて浮かんでいました。
 「今晩は。実は、お医者さんに話があるのですが……。」
 「外で立ち話もなんですから、病院へどうぞ。」
 お医者さんと呼ばれた白衣の男は、窓から明かりが漏れている小さな病院を指差しました。正面の入り口には看板が立っていて、外灯の頼りない明かりで、書かれている文字がうっすらと浮かんで見えます。看板には、ぼやけた文字で『木のお医者さん』と書かれていました。
 二人は、病院の玄関で靴を脱いでスリッパに履き換えて、天井に点々と灯っている蛍光灯のせいで、浮かび上がっているように見える廊下をゆっくりと歩きました。歩く度に、廊下のひからびた板が、ぎしぎしと音を立てます。鳥のさえずりに似た音が、二人を後ろから追いかけてくるようです。
 二人は院内の一番奥の部屋に入っていきました。いつも、お医者さんが患者を診る部屋です。古池は患者用の、円く背もたれのない小さな椅子に座って、お医者さんに向かい合いました。

 白衣の前のボタンは、すべて取れてなくなっていました。口のまわりには無精髭を生やし、近くで見ると白胡麻のように見えます。彫りの深い顔立ちで、目の周りや頬などには、うっすらと影がかかっていて、目尻には、笑わなくても幾本のしわが出ていました。
 「お医者さんも、お気付きだと思いますが、ただ一本だけ残して、木々が枯れてしまいました。木々があれば防げたはずの災害で、沢山の国民の尊い命が失われてしまいました。どうか、東京に残った老木を診ていただきたいのですが……。」
 お医者さんは、古池の話の途中で、何度か頷きながら聞いていました。
 「どうやら、木々が枯れた理由を、あなたたち政治家は、理解できていないようですね。」
 「その原因を、お医者さんに老木を診てもらって調べようと思っています。そして、対応策などを、その後に……。」
 「それが、分かっていない証拠です。大気汚染が急激に進んだせいで、本来の樹木の空気浄化容量を超えてしまったのですよ。それも、天然の樹木ならばいざ知らず、人工の、しかも、目で見て楽しむためだけに植えられた樹木に、そこまでの力を発揮することはできません。そのうえ、酸性雨まで降り出しました。人体に害が出ない程に薄い酸性雨だったから、あなたたち政治家は、そのまま放っておきましたが、樹木にとっては、多大なダメージを与えていたのですよ。ここまで言えば、いくら頭の硬くなってしまった古池さんでも理解できるでしょう。すべての原因は、日本政府が第二次世界大戦の終戦後から行ってきた、『経済効率最優先』という政策。このために、自然は自己回復できないほどに傷付き、樹木が枯れてしまったのです。」
 一気にまくし立てられたので、古池は不快になりました。
 「私は、説教されるために、こんな山奥まで来たのではない! 私は、頭を下げて、日本最後の老木の診療を依頼しに来たのですぞ。その答えを聞かせていただきたいものですな。」
 「古池さんは、診療依頼をしに来たのですか。人に何かを頼む時には、『お願いします』を付けて言うものですよ。」
 古池は、額に血管を浮き出させながら、病院の外にも聞こえそうな大声で怒鳴りました。
 「これだけ私が頭を下げても、あなたは私の依頼を受けてくれないのかい。何だ、その生意気な目は。私は政治家だぞ。木のお医者さんなんかよりも、ずっとずうっと偉いんだぞ。」
 予想以上の古池の怒りに、お医者さんは少しだけ片方の眉を上げて、顔をしかめました。そして、目を細くして目尻を下げ、子どもを諭すように優しく、ゆっくりと言いました。
 「誰が、どれだけ偉いのか、ということは誰にも決められませんよ。空で私たちを照らしてくださっている、お天道様でさえ、それを決められないのです。それから、いくら頭を下げていても、高い所から人を見下ろしているのは変わりません。高い所から降りて、相手と同じ高さの所でなければ、相手に心は通じないのですよ。」
 しばらく、古池はきまり悪そうに、口を閉ざしてしまい、下を向いてしまいました。お医者さんは、古池の肩に手を置いて言いました。
 「東京に行きますよ。行って、残された老木を診療しましょう。このまま、山奥に閉じこもっていても、何ら解決の糸口は見えませんから。」
 お医者さんの言葉を聞いて、古池は顔を上げました。そして、お医者さんの手を両手で強く握って、上下に振りながらお医者さんの目を見つめて笑いました。

<続く>


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