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『木のお医者さん』その5 [GBA2005ノベル]

  【四】
 翌日。お医者さんは古池に案内されて、たった一本だけ残された老木の前に立ちました。
 老木は枯れてかかっていました。樹皮は乾きのために、所々めくれていましたし、五十人の大人が、ぐるりと囲んでも囲めきれない程に太かった幹も、今では、二三十人くらいで、ぐるりと囲めてしまう程に痩せ細っていました。枝には小さく縮んでしまって、緑に薄い灰色を混ぜたような色になってしまった葉が、申し訳なさそうに、風に吹かれながら、ぶらさがっていました。

 ここまで、ひどくなっていたとは……。お医者さんは、心の中で呟きました。こんなに。こんなにまで老木が姿を変えなければ、人間は気づかなかったのか。どれだけ自然が傷ついているのかを。自分たちが進んでいる道が、誤っていることを……。
 いつの間にか、老木とお医者さんとを囲むように、何重にも人だかりができていました。空中に浮かんでいる巨大なスクリーンには、老木と向かい立っているお医者さんが映し出されています。どこかにテレビ局の中継車があるのでしょう。
 人だかりの中から、一人の子どもがお医者さんに向かって歩いてきました。お医者さんの側まで来て、老木とお医者さんとに目を、きょろきょろと動かしています。
 「おじさん。ここで、何をしているの?」
 お医者さんは、子どもの前にしゃがみ込んで、目を見つめて、目尻を下げながら言いました。
 「おじさんはね。あの病気になってしまった大きな木を、これから治療するんだよ。あぶないから、もう少し後ろに下がっていてね。すぐに済むから。」
 そう言うと、ゆっくり立ち上がって、子どもの頭をくしゃくしゃに撫でて、老木の方へと歩き出しました。子どもは、ぼんやりとお医者さんの顔があったところを眺めていました。母親らしき女性が、子どもの側に走り寄ってきて、人だかりの中へ連れていきました。
 「おかあさん。あのおじさんね、木と土のにおいがしたよ。」
 母親は、子どもの頬を撫でながら、枯れかかっている老木と対峙しているお医者さんを見つめました。
 お医者さんは、一枚の葉に手を伸ばしました。親指と人差し指とで、葉の両面を、薄い硝子細工を触れるように、そうっと撫でました。お医者さんの両目は、まるで葉の細胞の一つ一つまで見通すように、ゆっくりと葉の上を移動しました。
 「おじさん、何をしているの?」
 先ほどの子どもが、また母親の手から逃れて来ていました。が、先ほどよりも、ずっと後ろからお医者さんに声をかけていました。
 お医者さんは、葉から目を外さずに答えました。
 「この木と、お話しているんだよ。」
 「おじさん、木とお話できるの?」
 「ああ、できるさ。みんなも木と、お話ができるんだよ。でも、みんなは忘れているんだよ。木が、お話できること、みんなと話したがっていること、とかね。」
 お医者さんは、葉から幹へと目を移しました。老木の梢の方を眺めながら、痩せ細った枝を、ぱさぱさに乾燥してしまった樹皮を、両手で撫でました。

<続く>


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