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『木のお医者さん』最終回 [GBA2005ノベル]

  【六】
 老木の変化は次第に、目に見えてきました。樹皮はうるおいを取り戻して、枝は天を向いて伸び、葉は深い緑に染まっていきました。鳥が何処からともなく、枝へ舞い降りて、老木の回復を祝うようにさえずっています。地面に落ちていた白衣が、風に飛ばされて老木の枝にひっかかり、鳥がそれを啄みました。
 一部始終、目を反らすことなく見ていた子どもは、母親の指を握りながら、白衣を啄む鳥たちを眺めていました。
 「おかあさん。あのおじさんは、木になったんだね。」
 母親は子どもの手を引いて、人だかりから姿を消しました。
 風に吹かれて揺れる葉の音と、鳥たちのさえずりとが、にわかに重なり合い、老木の近くを通り過ぎる人たちの心に響きわたりました。

 十年後――
 北海道の山奥。主人を失い、寂れていたはずの病院は、活気を取り戻していて、いつも診療に訪れる人の姿が途切れることがありませんでした。『木のお医者さん』と書かれた看板は、老人などは看板に顔が張り付くほどに近づかなければ、読めないほど掠れています。
 診療室から声が聞こえてきました。
 「遠藤さん。ええ、心の縛りすぎですね。もう少し、心に余裕を持たせて、物事に取り組んだ方がよろしいですよ。え、薬ですか? 一番の薬は、笑顔です。はい、お大事に。次の方、どうぞ─。」
 お医者さんが座る、背もたれと肘掛けがついている椅子には、真新しい白衣を着た男が腰をかけています。目は樹皮のように潤っていました。
 「次の方。次の方、どうぞ。」
 待合い室に通じる扉を開ける。黒いビニールに身を包んだ長椅子には、誰の姿もなかった。扉を閉じて、室内の窓を開ける。
 そよ風が、優しく男の頬を撫でて、土の匂い、木の香り、鳥たちのさえずりを、一度に運んできました。男は南の空を見上げながら、口のまわりに生えている無精髭を指で撫でました。
 「おじさん。ぼく、お医者さんになったんだよ。ぼくも大勢の人を救ってみせるよ。おじさんみたいに……。」
 東京の中央に残った老木の枝の上には、鳥の巣にされた、ぼろぼろに啄まれ、灰色がかった黄色に変色してしまった白衣が、卵から孵ったばかりの雛たちを、親鳥と一緒に包み込んでいました。

<了>


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