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前オリックス監督の仰木さん死去 [ニュース]

asahi.com: 前オリックス監督の仰木彬さん死去 - おくやみ

2005年12月16日00時44分

 プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務め、大リーグの野茂英雄投手やイチロー選手らを育てた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日午後4時10分、呼吸不全のため福岡市の病院で死去した。70歳だった。オリックス球団が同日発表した。葬儀・告別式は故人と遺族の意向により、密葬として行う。

 仰木さんは福岡県出身。福岡・東筑高卒。54年、西鉄(現西武)ライオンズ入団。二塁手で活躍した。67年に引退後、西鉄と近鉄バファローズ(当時)でコーチに。

 88~92年、近鉄監督。巧みな選手起用で勝機をつかむ采配は「仰木マジック」と呼ばれた。なかでも88年10月19日、シーズン最終戦にリーグ逆転優勝をかけたロッテとのダブルヘッダーは「10・19 川崎球場」として知られ、パ・リーグの歴史に残る名勝負を演じた。89年、リーグ優勝を果たす。

 94~01年、オリックス・ブルーウェーブ(当時)監督。若手の鈴木一朗選手の登録名を「イチロー」と変えて話題を呼んだ。阪神大震災の起こった95年、「がんばろう神戸」をスローガンに掲げてリーグ優勝。96年、日本シリーズで巨人を倒して日本一となった。

 04年、野球殿堂入りを果たした。同年、近鉄と統合したオリックス・バファローズ初代監督に就任。今年は前年まで3年連続最下位だったチームを4位に引き上げ、Aクラス争いをするまでに導いた。だが、9月に体調不安を理由に監督を勇退。球団のシニアアドバイザーに就任していた。

 監督14年間の通算成績は勝利数歴代12位の988勝815敗53分け。勝率は5割4分8厘。

このニュース速報が、テレビ画面にテロップで流れたとき、驚きを隠せませんでした。今年9月に体調不良を理由に監督を辞めていたことも知りませんでした。
ずっと、酒と女好きのオジサンというイメージがあったので、まさか・・・という感じです。

現役時代のことは、よく知りませんけど・・・
監督になってからは、近鉄時代は野茂英雄、オリックス時代はイチローの才能を開花させた実績があり、「仰木マジック」という言葉も生まれたくらい、奇策を用いる監督でした。
オールスター戦で、最後の打者相手に、投手「イチロー」を起用したり・・・
(これは後々、議論を醸したけど・・・まぁ、パフォーマンスとしては良かったんじゃないかなぁ?と思います。打者の松井秀喜の心境は・・・分からないけど)


本当に、惜しい人を亡くしました。

心から、お悔やみ申し上げます。

 


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mitsukun3

私、MonDoの方で偶然知ったのですが、びっくりしました。あまり野球の事知りませんが、この方は有名だったので知っております。惜しい方をなくしました。ご冥福お祈りいたします。
by mitsukun3 (2005-12-16 04:51) 

しゃくれアゴ

イチローやパンチ佐藤を世に出したり、「がんばろうKOBE」というキャッチフレーズをつくったり、野球を通して、いろいろ世の中に貢献していたようにも思います。
本当に惜しい方を亡くしましたよね。
生前に野球殿堂入りしていて、正解でしたよね。
by しゃくれアゴ (2005-12-17 00:51) 

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