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職業訓練、無事終了 [うつ病闘病日記]

07/20から通い始めた職業訓練(基金訓練)「WEBシステムプログラミング入門科」ですが、今日(10/15)に無事、終了しました。
卒業課題として、受講生全員(私含め6名)がチームとなりプロジェクトマネージャを選任し、講師には技術アドバイザーという立ち位置になってもらい、Wikiシステムを構築し、納品・プレゼンを行ったのが昨日(10/14)です。

チームでの作業というのは、いままでシステム運用やヘルプデスク部隊立ち上げなどで経験していましたが、開発となるとまた話が違ってくるんですね。
納期(もちろん、今回の場合は終了日:10/15の前日)があり、その納期までにWikiシステムを完成させること。そして想定どおりの機能が実装されていて、思い通りに動作すること。そして、最後に納品を想定してのプレゼン。
人それぞれ得手・不得手があるのは当然で、プログラミング経験者または理解が早い人は技術的なことでチームに貢献し、この3ヶ月の訓練だけではどうしてもプログラミングが遅いまたは苦手な人は技術的なこと以外(例えばミーティングの場で沢山意見を出すとか、資料をまとめるとか、結合テストをするなど)でチームに貢献しました。

 

 

今回の職業訓練受講生は、下は35歳(私)から上は54歳までと年齢が幅広く、PC操作はできるけどプログラミング経験がゼロという人が大半でした。それぞれ、元・営業だったり、元・コンサルだったり、元・翻訳家だったり、主婦だったり・・・前職もさまざま。
でも、プロジェクトマネージャ(PM)の音頭のもと、みんな一丸となり設定された納期までにWikiシステムを構築し、納品時のプレゼン用資料を作成しました。Wikiシステムも普通のWikiシステムではなく、なんらかのコンセプトのもと構築した方が画面デザインがしやすいということで、みんなで案を出し合い「神話・伝説」Wikiというコンセプトが決まり、背景設定も「どこかの企業がファンタジー系商品を作成するにあたっての情報収集ツールの作成を依頼してきた」という過程のもと、神話や伝説を連想させる画像(著作権フリーのもの)を集め、ヘッダや画面背景に使ったり。

20101015_wiki_SS.jpg
元ネタは、↑みたいな感じのWikiシステムですが、これをベースに画面デザインを「神話・伝説」Wikiっぽく加工していきました。
画像の加工、ヘッダやフッタでの画像表示処理追加、背景画像追加などいろいろ追加作業を行い、管理者パスワード機能も実装し、管理者でなければWiki記事をロック・アンロックできないようにしました。そして、ロックされた記事は管理者がアンロックしない限り更新も削除もできないようにしました。

納期重視でシステム構築したため、全員が完全に満足いくWikiシステムになったわけではありませんが、納期内に完成させ、納品プレゼン(職業訓練を実施している企業から講師以外の社員に来て頂き、クライアント役に設定)も無事終了したときは、満足度MAX&達成感MAXでした。
ディスカッション時には、意見が割れたり対立したりして、一時はヒヤヒヤした場面もありましたが、PMが根気強く「この卒業課題はチームでの作業であり、納期は絶対である」ということを説明し、なんとか前進することができました。



人は生まれ育った土地・地域・環境、親や親族からの教育内容・学校の教育内容、社会人になった後は働いた会社の環境・関わった人との接し方、などなどにより思考パターンやクセ、習慣や行動パターンなど、人物像に現れます。
同じ日本という小さな島国で生まれ育った人同士でも、同じ教科書の同じページに載っているソースをコーディングしていて感じること、思うことは、本当に人の数だけ別々になります。
これに信仰している宗教や、自分独自の信念が加わったり、国籍が異なれば、文化・風習・習慣など自分と異なる部分ばかりの人が沢山います。
そういった自分以外の人とのコミュニケーションおよびチームとしての作業は、本当に難しいものだと痛感しました。

人は(特に日本人は?)、自分と異なる存在、自分の理解を超える存在、自分の思い通りにならない存在を排除したり、蔑視したりする傾向があります。心の奥底で、「自分はあいつより上」とか「自分はあいつよりマシ」とか、気付かぬうちに優越をつけている場合もあります。
自分の物差しで、人を測ってはいけません。
人それぞれ。百人百様? 
自分と異なる人、理解を超える人、思い通りにならない人と接さなければならないケースはビジネスシーンで多々あります。自分の部下や上司、同僚、顧客だったり業務委託先だったり。
「自分が当たり前と思っていることは、他の人にとって当たり前じゃない」ことを前提としなければ、会話のキャッチボールすらままなりません。1から10まで説明しなければならないこともあるでしょう。

他人は他人。自分は自分。
思い通りにできるのは自分の心と身体だけ。自分と自分以外の人は、異なる。
相手とコミュニケーションをとり、自分と相手の相違点をよく知り、それを受け入れるというか理解する必要があります。

第一次世界大戦は、バルカン半島における小民族同士の小競り合いが発端でした。
民族が違えば、文化・風習・習慣・宗教・考え方も違います。それは当然です。でも、それを受け入れられないまたは理解できないから、小競り合いになったのでしょう。
そして、そこへ大国がなんとかしようとテコを入れることにより規模が大きくなっていき、第一次世界大戦にまで膨れあがりました。
信仰する宗教が異なるという理由だけで、戦争になったりテロ事件がおきたり。
昔もいまも。

何故、自分が信仰している宗教の考え方や教えの枠で、他人が信仰している宗教を見るのでしょう。
根本(または源流)は同じでも、国・民族・宗派により、考え方や教えも様々です。それを他に強要するのは間違えです。
自分が信仰している宗教が正しいと思っているのは理解できますが、それは自分の尺度で「正しい」のであって他の人の尺度で「正しい」か否かは分かりません。
よく「偶像崇拝はよくない」という言葉を耳にします。仏像ができた経緯を紐解けば、確かに釈迦の教えに反しており偶像崇拝になるのでしょう。でも、仏像はもう偶像崇拝の対象の粋を超え芸術の粋になっています。
ギリシャ神話やキリスト教の宗教画や彫刻などの作品を「偶像崇拝だ」といって燃やしたりするでしょうか?
ピラミッドなど過去の文明遺跡の壁画などを「偶像崇拝だ」といって破壊するでしょうか?
日本神道における御神木など自然物を御神体とするのは「偶像崇拝だ」といって破壊するでしょうか?(神道における御神木や御神体はあくまで「神が一時的に宿る代(よりしろ?)」であり、偶像ではない)
バーミヤンの石仏が爆破されたときは、少し心が痛みました・・・・・・。
国や民族による食文化の違いにより、捕鯨禁止とか片腹痛い。(もちろん乱獲はダメだよ)

 

そろそろ地球人は、自分と異なる存在を認め、受け入れることができるようになるべきだと思います。
と、たった6名での1週間くらいのプロジェクトで、他人との関わり方というか接し方について、とても多くを学びました。
Javaという開発言語、Webサーバなどの仕組み、アルゴリズムをソースへ落とすことなど技術的なことも多く学びましたが、ヒューマンスキルも多く学んだ点があったなぁ、と実感した修了式でした。

(卒業課題である神話・伝説Wikiの画像を当ブログへUPするか否か、少し考え中)

 

今後の予定。
職業訓練が終了したことを管轄ハローワークへ書類提出して報告。
10/20:水に、今回職業訓練を実施していた企業で筆記テストを受ける。
併せて、ハローワークで「トライアル雇用」(未経験採用)のJavaプログラマ募集を探す。

といった感じですかね。
うつ病の回復期にあるとはいえ、約3ヶ月間の職業訓練を最後まで通えたことは嬉しかったです。
4年くらい前の「サーバ・ネットワークエンジニア育成コース」は、欠席日数が職業訓練実施日数の8割を下回ってしまい途中退校になってしましましたから・・・・・・。

あまり焦らず(急ぐと焦るは違う)、ゆっくり自分のペースで疲れない範囲で、少しだけ自分に負荷をかけて、また就職活動を続けようと思います。
再見! (^-^)ノシ

 


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